ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

84日目

昨日は、衝動を満たしたいという気持ちがムクムクと湧いてきた。精神的に少し余裕が出てくると、そういう方向に傾きがちになる。


ちょっと頭を整理するために、自分に語り掛けてみよう。


私よ、一時的な好調の波に惑わされることなく、最悪の精神状態だった時を思い出して、それを完全に乗り越えたと確信ができるまで継続すべきではないのか。備えあれば憂いなし、と言うではないか。禁欲は必ずまた巡ってくる苦境への備えではないのか。禁欲は思ったほどではなくとも、お前に力をもたらしていないか。


お前は今までに何度性欲を満たしたのだ。一度でも完全に満足したことがあったか。性欲はさらにさらにと強い刺激をお前に求めさせる。お前は従順な奴隷としてそれに仕えているようではないか。異性はお前の欲求を満たしてくれる女神ではない。お前を性欲の鎖で支配する恐ろしい奴隷商人である。だが、問題は異性の存在ではない。お前自身が鎖につながれたがっていることが問題なのだ。お前はまだ欲に奉仕し足りないのか。


また、満たした後、何度虚しい思いをしたのか。影のように付きまとう恥、罪悪感などの感覚を覚えていないか。人前で見せられない卑俗な行いであるとお前自身が知るがゆえに必然的にそれらを感じているのではないのか。


精液は貴重であると賢人たちは言ってないか。ポルノの視聴は、薬物に似た害があるとの報告を読まなかったか。満たしたいという衝動は、単に理性を欠いた渇望に過ぎない。それは長年の習慣で形成されたアルコールや薬物のごとき中毒症状に過ぎない克服すべきものではないのか。


異性への愛着は、崇高な愛の発露なのか。愛が特定の異性に限定されるのか。満たされなければ怒りと失望へと一変する感情が、愛なのか。無私なるものが愛ではないのか。男女が仲良く見えるのは互いに欲望が満たされている間だけである。それは一時的な停戦状態に過ぎない。性欲がお前の中から完全に消えても、今までのように相手に奉仕したいと思うのか。お前が愛する対象は、せいぜい20年もたてば、老いて性的魅力を失っていくのではないのか。


と、こんなところにしておこう。

83日目

まだ胃腸の調子が悪い。思ったより長引いているが、快方には向かっているので心配はしていない。衝動は朝晩にそこそこ強めに感じるが、とても辛いというほどではない。


今日も一日無事に過ごせますように。

82日目

台風と同時に、体調不良もほぼ去っていったようだ。昨日は、夜に強めの疼きを感じたが、日中悩まされることはなかった。体調がよくなれば、馴染みの衝動もまた元気になるだろう。


昨日は、瞑想を新しい方法で取り組んでみた。これが功を奏すれば、自分にとっては革命的な転機となるだろう。新しい方法といっても瞑想自体のことでなく、瞑想している間のちょっとした工夫についてである。少し続けてみて、上手くいけば、具体的にここで記していきたい。


今日も油断せずに行こう。