ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

64日目

昨日は、衝動が急激な上昇を見せた。衝動の強度はピーク時に接近してきたが、その高まりは前回のピーク時とは異なり持続性がなく、下腹部に感じる、あのいやな疼きは断続的であり、しばしば右胸を中心とする胸部の痛みの感覚にとってかわるように感じられる。下腹部の疼きより、胸部に感じる感覚のほうがずいぶん苦痛は少ない。


どうやら地獄の忍耐デーに突入したようだが、35日目あたりの前回の経験から、おそらくあと三日は続くだろう。ああ、本当につらい。今朝もすでにつらい。慢性頭痛が和らいでいるのが唯一の救いだ。


ただ耐えるしかない。この台風が過ぎ去るのをじっと待とう。


            セックスなき人生?(6)


人生の四段階


正統なインドの哲学では、ブラフマチャリヤは単なる禁欲以上を意味します。それは古代のヴェーダ教本に詳細に記述される四つのプルシャルタ(人生の段階)の一番目を表すために使われる用語でもあります。この伝統では、ブラフマチャリヤは学生でいる時代ーおおまかには人生の最初の21年ーを示し、この期間、禁欲は人を学習と教育に集中させるために厳密に従われなければなりませんでした。


二番目の段階、グリハスタ(家住者)の局面の間、性的活動は家族の形成に不可欠な側面であるとみなされました。禁欲は、家住者が最後の二つの人生段階、ヴァーナプラスタ(森住者)の局面とサンニャーサ(隠遁者)の局面のために内に向かうとき、42歳あたりで一般的な修練として戻ってきました。ヨーギーと僧は、一般的にこのパターンの唯一の例外であり、家住者の段階を完全に飛ばし、生涯、禁欲を守ったままです。


「人生段階」アプローチを禁欲の修練のためだけでなく、他の修練、関心、価値にとっても重要なモデルだと指摘する現代のヨーガの教師もいます。このモデルによれば、行動規範は年齢によって変化します。「この禁欲は白黒はっきりした二者択一ではないと考えるほうが理にかなっています」とラサターは言います。「人生の中でそれを修練する時期があるかもしれないし、しない他の時期あるかもしれません」。


エイドリアン・パイパーが禁欲を見る方法が、まさにそれです。長く活発な性生活の後、結婚と離婚の後、そして、哲学教授とコンセプチュアル・アーティストの両方で成功を収めた後、36歳になってはじめて彼女は禁欲に向かいました。「ある時期において禁欲することはオーケーで、健康的だと私は確かに思います」と彼女は言います。「セックスは大変な仕事で、長期間の性的関係を取り扱うことはさらにいっそう大変な仕事です。時に、その仕事を行うことはとても重要です。しかし、他の種類の仕事ー内面的な仕事、創造的な仕事、知的な仕事、癒しの仕事ーがあり、それは時に、さらにいっそうなすべき重要なことです。そして、誰も時間とエネルギーを無限に持ってはいません。そして、セックスはとても夢中にさせるものであるため、それが私たちに与える教訓を調査する内面的な仕事を行うために小休止をとることは本当に役立ちます」。


パイパーは、 How We Live Our Yoga (Beacon Press, 2001)という本にブラフマチャリヤについてのエッセイを寄稿し、彼女にとってこの修練の利益がどれほど遠くまで及んでいるのか知って驚いたといいます。「ブラフマチャリヤが私に与えたギフトの一つは、どれほど私が男性を好きなのか発見したことです」と彼女は言います。「今や私は、私の必要を満たそうとして、もう彼らと殴りあっていないので、私は彼らとの付き合いを本当に楽しんでいることに気づきます。最も驚くべき部分は、これが、狭い性的な領域を超えて、私の関係性すべてに一般化されるようであることです。私の男女との友情は非常に深まりました」。

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