ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

61日目

一昨日の好調さは足早に去り、昨日は心身ともにいまいちな調子だった。衝動は時々高まりを見せるが、依然としてピークには至らない。


今朝の目覚めはあまり良くないが、衝動は少なく、腰痛もあまり感じない。筋トレは腰痛と相談しながら慎重にしなければならない。スパインバックリフトは腰に優しそうなので、やりすぎにならないようにやっていきたい。


今週も淡々とひたすらに禁欲といこう。


          セックスなき人生?(3)


禁欲のギフト


典型的なアメリカのヨーガ教室の生徒に彼らがヨーガの禁欲に準備ができているのかどうか尋ねてみて下さい。そうすれば、彼らはおそらく目を上に向け、額にしわを寄せるか、もしくは、単にそのような質問の馬鹿らしさを笑うでしょう。しかし、ヨーガの長い伝統によれば、禁欲はその困難さをはるかに上回る強力な恩恵を与えます。私たちが霊的超越により十分に身をささげられるように、禁欲は私たちを浮世の気晴らしから解放すると言われています。それは、選ばれた数人だけでなく、全ての存在との深みのある結びつきと親密さの感覚を促進する、不二のジェンダーレスな状態に私たちを向かわせると言われています。禁欲はまた、正直と非暴力という重要なヨーガの原則を支えると言われています。というのも、乱交はしばしば秘密、虚偽、怒り、苦しみに通じるからです。そして、禁欲は、私たちの最も原始的で本能的なエネルギーを、健康、並外れた勇気、驚くべきスタミナ、そして、大変な長寿を約束する、より深みのある輝かしい生命力へと変換する道として喧伝されています。


14世紀の重要な教本、ハタ・ヨーガ・プラディーピカーには、ブラフマチャリヤを修練する人々はもはや死を恐れる必要がないと記されています。バガヴァット・ギータは、ブラフマチャリヤを真のヨーギーにとって根本的な規律と示しています。そして、多くの西洋のヨーギーにとって聖書のようなものである、パタンジャリのヨーガ・スートラによれば、ブラフマチャリヤは、深みのある活力、勇気、生命力に通じる決定的な修練です。パタンジャリは、ブラフマチャリヤが体への、他者との親密な接触へのいとわしさに通じるとさえ言います。「パタンジャリにとって、ブラフマチャリヤはとても厳格な解釈を持ちますーそれはいついかなる状況においても実践されるべき禁欲です」とカリフォルニア、サンタ・ローザにあるYoga Research and Education Centerの創設者、 ゲオルク・フォイヤーシュタインは言います。「彼にとって、言い訳は存在しません」。

×

非ログインユーザーとして返信する