ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

30日目

ここ最近の数日間、心が比較的安定している。怒り、不安、焦りなどの強い感情は影を潜めている。積極的に幸福感があるわけではないが、マイナスがないことはありがたい。


性衝動は折に触れて強まったり、弱まったりするが、今のところ何とか耐えられそうだ。


何度も禁欲のチャレンジをしてきたが、30日間に達したのは稀なので、今日という日を迎えられたのはうれしいことだ。このまま着実に日数を重ねていき、禁欲の精神的・肉体的影響を記録していきたい。


Brahmacharya - Wikipedia


美徳として                                   


ブラフマチャリヤは、パタンジャリのヨーガ・スートラの2.30詩節で言明されているように、ヨガにおける5つのヤマの一つとして伝統的にみなされている。それは美徳とみなされる一つの自制の形であり、個々人の状況に応じて推奨される守るべきものである。
結婚した修行者にとって、それは(伴侶を欺かないという)夫婦間の貞節を意味する。独身者にとって、それは(性的)禁欲を意味する。Sandilya Upanishadは、一章でブラフマチャリヤを10のヤマの一つに含め、それを「心・言葉・体における、すべての場所と全ての状態で、性交を控えること」と定義している。


2.38詩節でパタンジャリは、ブラフマチャリヤの美徳はヴィールヤという利得に通じると言明する。このヴィールヤというサンスクリット語は、男らしさ(頑強さ)としてさまざまに訳されていて、ヴィヤーサによって(体)力と能力として訳されている。ヴィヤーサは、この美徳は他の善性を促進すると説明する。他の古代と中世時代のヒンドゥー教の聖典は、この美徳の成果をさまざまに描いている。例えば、Pada Chandrika、Raja Marttanda、Sutrartha Bodhini、Mani Prabha、 Yoga Sudhakaraそれぞれは、ブラフマチャリヤは自発的な力の制御として理解されるべきだと述べる。Chandogya Upanishadは、8.5章の詩節の中で、いったん完成されたなら、魂、真我(アートマン)の実現に通じ、その後は魂を他者と万物の中に体験する習慣になる聖餐、供犠としてブラフマチャリヤを称揚する。 Tattva VaisharadiとYoga Sarasangrahaは、ブラフマチャリヤはニャーナ・シャクティ(知識の力)とキリヤ・シャクティ(行為の力)に通じ、それを高めると主張する。

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