ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

28日目

昨日は、一昨日、二日前ほどではないが、比較的落ち着いていた。朝に感じていた衝動も日中はあまり感じなかった。今朝もやや強くうずきを感じているが、日中は減退するのだろうか。


ところで、このブログの題名にはブラフマチャリヤという専門用語が使われている。私は「全ての性的行為をやめること」と受け取って実践しているが、やや複雑な概念なのでBrahmacharya - Wikipediaから学んでみる。

ブラフマチャリヤ(ブラーマチャーリャのほうが本来の発音に近そう)は、インドの宗教の中の概念であり、文字通りは「ブラフマンを追い求めること」を意味する。


一つの文脈で、ブラフマチャリヤは、グリハスタ(家長)、ヴァーナプラスタ(森住)、サンニャーサ(放棄)とともに、人の人生のアーシュラマ(年齢に基づいた段階)の一番目である。ブラフマチャリヤ(未婚の学生)という人生の段階ー幼少期から25歳までーは、教育に焦点が当てられ、(性的)禁欲の修練を含んでいた。それはグルから学ぶ目的のための生徒の人生段階の間の(性的)禁欲と、霊的解放(モークシャ)を得る目的のための後の人生段階の(性的)禁欲を含意している。


別の文脈では、ブラフマチャリヤは、未婚時の(性的)禁欲の美徳であり、既婚時の貞節の美徳である。それは簡素な生活、瞑想、その他のふるまいも含む道徳的な生活様式を表す。


ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教の修道生活の伝統の中で、ブラフマチャリヤは、他の物事の中で、性行為と結婚の義務的な放棄を暗に意味する。それは僧の霊的修練のために必要であるとみなされている。修道的環境で遵守される宗教的生活の西洋の概念は、これらの特徴を忠実に模倣している。                      (続く)

×

非ログインユーザーとして返信する