ただひたすらにブラフマチャリヤ

心身の健康を増進するため、ひたすら性的禁欲を実践するブログ

38日目

昨日は、35・36日目に続き、地獄の忍耐デーとなった。午前中~午後3時にかけて、衝動が強く、こんなにも大きな衝動と苦しみが3日連続で襲ってくるのかとほとんど絶望的な気持だった。午後3時に衝動が収まったことに気づくと大きな安堵を感じ、同時に、精神的疲労を相当に感じた。衝動に耐えることは、精神力を消耗させることを実感した。


「ピークは1日で過ぎ去る」というのは誤りで、「3日は続く」と覚悟すべきと考えを改めた。甘かった。今日も続くかもしれない。


衝動は、下腹部の苛立ちを起点として、右胸と後頭部、延髄のあたりに独特の感覚を生じさせている。右胸は、ある賢者の話では、人間存在の中心であり、煩悩やら全てがそこに収納されているらしい。そこに張ったような感覚と弱い痛みの感覚が継続している。延髄のほうは、ズンと重い感覚がある。いずれも気持ちいいものではない。


この苦しみの体験から思ったのだが、性衝動に基づく行動とは、何か積極的なものではなく、この衝動の苦しみからの消極的な逃避行動に過ぎないのではないだろうか。苦しいから満たさなければならないよう追い立てられているに過ぎないのではないか。全ての性的行為は、そこに何の自由もない衝動への隷属状態に過ぎないのではなかろうか。果たしてそれは「愛」の発露と言えるのだろうか。


ああ、そんなことより、今日は私を攻め立てないでくれ、衝動よ。もうヘトヘトなんだ。そろそろ眠りについてくれ。毎日8時間もお前に付き合うのは地獄だ。どんなに泣き叫んでも私はお前に飴玉を上げないぞ。そろそろ泣き止んでくれ。

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